季節外れの嵐の夜。
古びた屋敷の窓を容赦なく雨粒が打ち付ける。
どす黒い雨雲は夜空にふかくたれこめ、
孤独な夜を一層心細い気分へと誘っていった。
2
こんな日に遠出することになった屋敷の主人も気の毒だと思うが、
留守番を頼まれたわたしも大抵気の毒だと思う。
他人の家に一人でいることは、ただでさえ不安な気持ちになる。
それが古びた屋敷、土砂降りの雨と風。
まるで2時間ドラマの冒頭のような雰囲気だ。

どの部屋も自由に使っていいわよ。
屋敷の主は気さくにそういってくれたが、
生来の貧乏性のわたしはそんな気分になれない。
狭い部屋でぬくぬくと落ち着くのが最高と考える性分なのだ。

一人暮らしの自分のアパートの一室に
できるだけ近い広さの部屋を探し、
そこにおやつと飲み物、毛布を持ち込んで一夜明かすことにした。
3
ようやく不安な気持ちから解放され眠りにつけた。
そんな安らぎも束の間、
ガタンという物音を聞いたような気がして目が覚めた。
ふと時計を見ると午前3時すぎ。
夜明けまではまだ間がある。

ちょっと耳を澄ませてみたが、聞こえるのは雨と風の音だけ。
気のせいかと毛布に潜り込もうとしたときに、
生理的欲求が緊急メッセージを送ってきた。

トイレに行きたい。

朝まで我慢しようかと思った。
毛布から出たくないという理由もあったが、
この屋敷のトイレは遠いのだ。
真っ暗な廊下を歩くのは嫌である。

廊下の灯をつければよいでないか、と思われるかもしれないが
煌々と照らしまくるなんて、無意味に闇を怖がる子供のようだ。
しばし逡巡したのち、
やはり朝までは耐えられぬと渋々トイレへ向かうことにした。
4
雨音と闇に怯える自分を励ましながら、
ようやくトイレに着きほっとしたのも束の間、
わたしは途方に暮れてしまった。

トイレの灯がつかない。

金持ちの家のトイレらしく、
このトイレはやたらと奥行きが深い。
ドアを開けてすぐに手洗い台があり、
その奥に男性用の立って用が足せる便器があり、
更に奥に女性もしくは男性も利用できる和式便座がある。

金持ちの家のトイレらしく、
洗面台近くの壁には多数のスイッチが並んでいる。
洗面台の灯スイッチ、天井の灯のドア側と奥側のスイッチ、
換気扇のスイッチなど。
これだけたくさんのスイッチがあるにもかかわらず、
どのスイッチも反応してくれない。

もしかしたら、
どれかがマスタースイッチみたいなもので
それを入れないと個別のスイッチが入らないのかも。

そんな知恵を働かせながら
いろいろとスイッチを入れたり切ったりしてみるが
変わらずトイレは真っ暗なままである。

わたしの下腹部からの呼び声も一層高まってくる。
クライマックスも近そうだ。

ぐぬぬ。

真っ暗なまま用を足すか。
そんな考えも頭をよぎったが却下である。
洋式便座ならともかく和式便座である。
真っ暗では足元が不安すぎる。

たどり着いた結論は、
廊下の灯をつけることだ。
トイレのドアを開け放しておけば、
廊下の灯がトイレ奥にも届く。

ドアを開けたまま用を足すなんて
淑女の嗜みに大いに反することではあるが、
背に腹は変えられぬ。
真っ暗は怖いのだ。

ということで、廊下の灯をつける。
無駄に奥行きがあるトイレだが、
なんとか奥にもぼんやりと灯が届いている。

ほっとしてしゃがみこみ、
言い知れぬ開放感に浸っていたとき。
廊下に足音が聞こえた。

ペタ、ペタ、ペタ。
スリッパも履かずに裸足で歩いているような音。
どうして?
留守番のわたししか人はいないはずなのに!?
さっき聞いた気がした物音はやっぱり人だったの?

思わず額に冷や汗が浮かぶ。
足音は近づいてくる。
どうしよう。どこかに隠れる?
いいえ、ここはトイレ。隠れる場所なんてない。
しかもまだ用を足し終わっていない。

逃げ出したい気持ちとうらはらに、
決壊寸前まで耐えたわたしの膀胱は、
のんびりと解放感を楽しんでいるようだ。

近づく足音、もうすぐそこまで!!

「ド、ドアを閉めてください!!」

キィー・・・・。

少し軋んだ音をたてて、
トイレのドアが閉まってゆき、
そしてほんの少しだけの隙間を残して止まった。
そう。
廊下の灯が入り込むわずかな隙間を残して。

あー、よかった。これで安心だ。
ゆっくりと用を足し終えたわたしは、
素早く部屋に戻り、
冷えた身体を温めるように毛布に深く深く潜った。
1
明日は雨が止めばいいなぁ。

夢語り 記してみれば 意外につまらぬ
もはや川柳にもなってない

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